文字が読めない。
まっすぐ歩けない。
昨日までできていた当たり前のことが、ある日急にできなくなる……。
今年の夏、私はそんな恐ろしい出来事を経験しました。
これまで大きなケガも病気もしたことがなく、健康そのものだったのに、突然発症した「斜視」と「複視」という目の不調によって、普通の生活が送れなくなったのです。
発症当初は、原因もわからず急に日常が奪われてしまったことに対する絶望感や、いつ治るのだろうという不安など、ネガティブな感情が頭の中を占拠していました。
でも、発症から5ヶ月が経って回復した今は、この体調不良がよい意味で「私の人生のターニングポイントになった」と言える自信があります。
絶望的だった状況を乗り越え、ポジティブに捉えられるようになるまでの5ヶ月間を振り返り、まとめてみたいと思います。
1.ある朝突然「まっすぐ歩けない」
6月上旬のある朝、目が覚めるとすぐにいつもと違った感覚を覚えました。
まるでお酒を飲みすぎて泥酔したときのように、視界に入るものすべてが二重に見えるのです。これが「複視」という症状でした。
ものが二重に見えているので、まっすぐに歩くこともできません。なにが起きているのかわからないまま、フラフラしながら洗面所に行き鏡を見ました。
すると、右目の瞳が正面ではなく外側を向いていて、明らかにいつもと違う顔をした私がそこにいました。「斜視」の状態です。
まともに歩くことすらできないという状況に加え、顔の見た目まで大きく変わってしまったショックもあり、その日は出社を断念し、急遽在宅勤務に切り替えることに。
パソコンの文字を読むのも一苦労という状態だったので、最低限の仕事を済ませ、早めに業務を終了して眼科に行くことにしました。
2.発症からの体調と心境の経過
発症から2週間:原因不明の不調でどん底ネガティブ期
前日までは普通に生活できていたのに、どうして急にこんなことになったのだろう。
「突然ものが二重に見えるようになる」という症状をWEBで検索すると、脳梗塞の前兆や重度の糖尿病の可能性など、恐ろしい情報が溢れていて、どんどん不安な気持ちになりました。
近所の眼科に行くと、やはり重篤な病気の可能性もあるということで、紹介状をもらって総合病院でMRIを撮ることに。
数日後、恐る恐る受けたMRIの結果は「異常なし」。
その後も複数の病院に通い、最終的には斜視に詳しい専門の先生がいる大学病院で、さまざまな検査をしましたが、結局明確な原因は分かりませんでした。
ひとまず脳や血管など命に直結する異常はなかったということで一安心……ですが、斜視も複視も、状態はまったく改善していません。
仕事はもちろん、家事や育児もままならず、自分の病院通いすら一人ではできない状態。生活が立ち行かず、電車で約3時間の距離に住む母に来てもらい、生活をサポートしてもらった期間もありました。
まともに目が見えないだけでもストレスでしたが、会社にも家族にも迷惑をかけているという焦りや、申し訳ない気持ち、原因も回復の見込みもわからない不安。
ネガティブな感情に押しつぶされそうな日々でした。
発症から2〜4週間:諦めがついたニュートラル期
原因がわからず病名はつかなかったものの、このような急な複視や斜視の症状は、一般的に完治まで3ヶ月程度かかることが多いそうで、仕事をしばらく休職することになりました。
仕事は嫌いではないけれど、休職すると決めたとき、急に気持ちが楽になったのを覚えています。
それまでは毎日「明日には治っているだろうか、仕事ができるだろうか」と考えては、よくならない体調に焦りを感じ、同僚に仕事を任せることに罪悪感を抱いていたのです。
でも、完治までは時間がかかるとわかり休職すると決めたことで、いったん普通の生活を諦める決心がつきました。
「原因はわからないけれど、今は休むしかない。焦っても仕方ない」
そう考え、仕事と家事と育児に追われる忙しい日々から一転、できる限り自宅でのんびり過ごす生活に切り替えたのです。
するとそれから1週間ほど経ったころ、斜視の状態はよくなってきました。
発症から4〜8週間:心身ともに回復へ、ポジティブ転換期
目の調子が少しずつ戻ってくると同時に、気持ちもポジティブに変わっていきました。
思えば育休復帰してからの5年間、仕事に家事に育児、加えて友達との時間や自分の趣味も諦めたくない、と休む間もなく突っ走ってきた私。
体調不良という思いがけない理由ではあるものの、「こんなに長い時間、ゆっくりできるチャンスはほかにはないのでは?」と、この状況をポジティブに捉えるようになりました。
実は今年に入ってから、今の仕事に対してなんとなく「このままでいいのかな?」とモヤモヤしていた部分があったのです。
忙しい日々の中では、そんなモヤモヤに蓋をして考えないようにしていたのですが、これを機に自分の本音を深掘りし、向き合ってみることにしました。
今後、どんな仕事をして、どんな人生を歩みたいのか。
発症から6週間ほど経った頃には、問題なく読み書きができる程度には回復していたので、ノートに自分の思いを書き出して整理していきました。
3.SHElikesとの出会い
本音を掘り下げていくうちに、私は自分のキャリアに対して、自信がないのだということに気付きました。
15年近く社会人をやってきたけれど、これといったスキルがなく、仕事における自分の強みをハッキリと説明できない私。
そんな自分を脱したくて、何か勉強を始めたいという意欲が沸々とわいてきたときに、インスタグラムで、キャリアスクール「SHElikes」の広告を見つけたのです。
最初は「バナーがかわいいな」という軽い気持ちで広告をクリックしたのですが、その内容を見て驚きました。
コースが45以上の職種・スキルと多岐にわたり、しかも定額で学び放題。「何かを学ぶには、まず最初に何を学ぶのかを決めなければいけない」という私の中にあった固定観念が崩れ、学ぶことへのハードルがグッと下がりました。
授業がオンライン完結可能で、自分の好きなタイミングで受講できる点も魅力的でした。
7月下旬、善は急げと申し込んだ無料体験レッスン。話を聞くうちに「復職してまた忙しい日々に戻っても、SHElikesでなら勉強を継続できそう!」という想像が確信に変わり、すぐに入会を決意しました。
4.このピンチがくれたものは……
発症から2ヶ月後の8月上旬には、目の調子も完全に元に戻り、復職することになりました。
それからは以前と変わりなく、むしろ以前よりパワーアップして、仕事もプライベートも忙しく、楽しく過ごしています。
パワーアップの要因は、SHElikesで学習を始めたことがきっかけで、将来の夢ができたことです。
正直、30代も後半になって新しい夢を追いかけることになるなんて、思ってもいませんでした。でも、私は今「ライターとしてお仕事をしてみたい!」という夢に向かって勉強をすることで、張り合いのある、充実した毎日を過ごせています。
「ピンチはチャンス」という言葉があるように、一見不運に見える出来事も、角度を変えて見ると大きなチャンスのきっかけにもなり得るのです。
この体調不良というピンチが与えてくれた「チャンスの種」を、私はこれから大きく育てていきたいと思っています。
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本記事はSHElikesの受講生を対象とした「SHEライターコンペ」の採用作品です。(執筆者 ひとまえさん)
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