「現状を変えたい。でも挑戦する勇気がなかなか出ない」「理想なんて叶えられるのかな」自分らしい生き方やキャリアについて考えていると、こんなお悩みが出てくることもあるでしょう。
理想を叶え自分らしく生きるロールモデルたちは、そのモヤモヤ期をどのように乗り越えてきたのでしょうか?
今回インタビューしたのは、長年憧れていたフィンランドへの移住を叶えたコミックエッセイ作家・週末北欧部 chikaさんです。chikaさんのファンであるSHEsharesライター・犬田メメが、自分らしい人生へ一歩を踏み出すためのヒントをたっぷりと伺いました。
憧れのフィンランド移住を目標に、手に職をつけるべく会社員として働きながら寿司学校に入学。週末を活用して寿司店で修行を積み、2022年の4月、33歳でフィンランドへ移住。現在はフィンランドにてフリーランス(コミックエッセイ作家)として活動中。実写ドラマ化もされた「北欧こじらせ日記」をはじめ「マイフィンランドルーティン100」「北欧をこじらせた私の サバイバル英会話」などこれまでに9冊のエッセイ本を出版。
● 20歳:大学3年のときにはじめてフィンランドへ。ここに住みたい!と決意
● 22歳〜:北欧関連の音楽事業会社に入社(閉業によって退職へ)。その後人材会社へ転職し、雇用上限3年の契約社員に。(週末を使った“やりたいこと探し”を開始)
● 31歳:寿司学校へ入学 (卒業後は週末に寿司店での勤務も始め、通学含め約2年間の寿司修行)
● 33歳:フィンランドで寿司職人として転職・移住開始
自己紹介
ーー本日はよろしくお願いいたします!現在はフィンランドにいらっしゃるのでしょうか?
chikaです。よろしくお願いいたします!
はい、現在は主にエッセイの作家活動をしながらフィンランドのヘルシンキに住んでいます。2022年の4月に移住したので丸2年が経ったところです。
ーーchikaさんといえば、日々の出来事や印象深いエピソードを綴ったコミックエッセイがSNSや書籍でも大人気ですが、描きはじめたのはいつ頃ですか?
SNSで“絵日記”を描きはじめたのは2019年です。当時、仕事の関係で中国に赴任していたのですが、そのときの思い出や感情を残しておきたくて描きはじめました。
フィンランドで働きたい!という夢もあわせてSNSで発信すると、わたし以上に自分の夢を応援してくれる人たちが増え、本当に始めてよかったです。
ーーフィンランドのどんなところに惹かれて移住を目指されたのでしょうか。
はじめてフィンランドに行ったのは大学3年生の頃です。すぐに「ここで働きたい!」と決意するほど気に入ってしまいました。フィンランドに惹かれた理由は、2つの距離感です。
ひとつは、自然との距離感。ヘルシンキは首都でありながらも少し歩けば森や湖があり、自然と都会がボーダーレスなんです。自分が田舎出身で東京や大阪で働いた経験があるからこそ、都心か自然かどちらかを選ばなくても暮らせることがとても嬉しかったですね。
もうひとつは、人との距離感。「わたしはこれが好き、あなたはこれが好き、それぞれでいいよね」というこの距離感を、わたしは「尊重と無関心のあいだ」と呼んでいます。全員が自分らしさを大切にして自立しているようすがとても心地よく感じました。
1. “週末ギャップイヤー”で拓いた夢への道
ーーchikaさんはこれまでにどんなお仕事を経験されてきましたか?
会社員の経歴はほぼ営業職です。新卒で入った北欧関連の音楽事業会社と、人材会社の2社を経験しました。このほか、会社で働く傍ら、ブログをやってみたり、個人でヴィンテージ雑貨の輸入販売をやってみたり、カフェやお好み焼き屋、寿司店での修行もしてきました!
ーーすごい…!会社員をやりつつもさまざまなお仕事にチャレンジされてきたのですね。それらの「副業」を精力的にやっていた理由はなぜでしょう。
人材会社に入社したとき、わたしは契約期間の上限が3年の契約社員でした。必然的に3年後に自分が何をしていたいのかを考えないといけない環境だったんですが、全く見つけられずにいて。
それをそのまま上司に話したところ「今の自分の中にある選択肢にやりたいことがないなら、その選択肢を広げなさい」とアドバイスをいただきました。
それで、会社が休みの週末を使って、少しでも興味があることをどんどんやってみようと副業としていろんな職種にチャレンジしたんです。
ーー副業をすることで、やりたいこと探しをしていたのですね。
わたしはこの時期を「週末ギャップイヤー」と呼んでいます!ヨーロッパなどの海外では、「ギャップイヤー」と呼ばれる自分探しの期間があるんですよね。
高校を卒業して自分が何をしたいかわからなかったら、なんとなく大学に行くんじゃなくて、1年間インターンや留学、旅行をして自分探しをする“猶予期間”のようなものです。そして、それがキャリアのブランクと見なされない心理的安全性もある期間なんですよ。
わたしの場合は、週末に副業としてやりたいこと探しをしたことでキャリアのブランクにもならず、まさに週末ギャップイヤーでした。
ーーそんな週末ギャップイヤーを経て見つけたやりたいことが、まさかの寿司職人!
実は、寿司職人になるための学校に入学するまで、魚をさばいたこともありませんでした…!
ーーそうだったんですね!なぜ寿司職人の道を目指そうと思われたのでしょうか。
週末ギャップイヤーとしていろんな職種を体験する中で感じたのは、当たり前ですが「どんな仕事も大変だ」ということ。どうせ苦労するなら、日本ではなく直接フィンランドで苦労したいと思ったんです。そこからフィンランドで暮らすために、現地で働く方法や求人を片っ端から調べていきました。
しかし、就労ビザ取得という現実的な問題に向き合ったとき、英語は中級だし、これまでやってきた営業職は言語が異なれば歯が立たないという課題が見えて…。
ーー確かに、自分自身が海外で働くとしたら一体どんな仕事ができるのか、全く想像がつきません…。
ただ、その壁に当たったことで自分が働くうえで大切にしたいことが整理できたんです。それは「世界中どこにいても、何歳になっても、自分らしさを活かして誰かに喜んでもらえる仕事をすること」でした。
これに加えて、自分にとっては当たり前の「日本人であること」が価値になる仕事ってなんだろう?と探したところ、「これだ」と思ったのが、フィンランドでもニーズの高い寿司職人の仕事だったんです。そして、35歳までに寿司職人としてフィンランドに移住する目標を立てました。
2. 失敗したときのクッションを積んでおく
ーーフィンランドで働く目標ができた後も、会社で働きながら準備を進めたのはなぜですか?
お金の安定と信頼貯金のためです。安定した収入があることで、自分のやりたいこと探しをお金の問題と切り分けて考えることができました。
時給やラクさを優先せず、本当に自分が求める環境(修行先)を純粋に選べたことは今振り返っても本当によかったと思っています。
ーー信頼貯金というのは?
もしフィンランドで失敗しても、日本に戻れる場所はつくっておきたいと思いました。「いつでも戻っておいで」と言ってくれる方達との関係性や、日本で「わたしはこの業界でこういうことができます」と言える経験を築いておきたかったんです。
だからこそ、副業をしつつも本業も一切手を抜かないことを自分のルールにしていました。
ーー本業と並走するからこそ心理的安全性を高めて夢を追うことができたんですね。一方で、30代で友人や家族とも離れたまっさらな環境で1からスタート、という決断は容易ではなかったのでは?
何か決断するときに思い出す、親友のこんな言葉があります。
「僕の人生の目標は、自分が死ぬ間際にベッドの周りに集まってくれた孫たちに対して、『実は、自分はこんなことがしたかったんだ』って言わないことだ」
シンプルな言葉ですが、とてもわたしに響き、「実はフィンランドに住んでみたかった」と死ぬ間際に話す自分は嫌だなと思えたんです。たとえ失敗しても、人生の中でチャレンジの時間を数年間もてたこと自体をきっと幸せに思えるはずだから、チャレンジしてみよう!と。
ーーちなみに、わたしも今30代なんですが、徐々に仕事と生活のバランスがとれてきた中で、新しいことに挑戦したくても、つい“失うもの”に意識が向いてしまいます。たとえば収入やワークライフバランス。どうすればchikaさんのような決断力が身につくのでしょうか。
ひとつは「期限を決めてとりかかること」です。
たとえば、何かに挑戦するとき、代償として、ずっと週末の自分の時間がなくなる、家族や友達と一生会えなくなる、この仕事にはもう一生戻れなくなると思ってしまうと、足踏みしてしまうと思うんです。
わたしの場合、とりあえず3ヶ月やってみよう、1年やってみようと期限を設定して取り組むようにしています。期限があることで「挑戦前の環境には二度と戻れない」と重く捉えすぎず、「数ヶ月手放すだけだ」と軽やかに決断できます。自分にとって心地よい長さで人生のタイムラインを切って挑戦することが、わたしにとって大切な考え方でしたね。
ーー手にした環境を捨ててしまうわけではなく、自分が不安にならない期間で期限を設定して、その期間だけは必死に頑張るんだ!と思えたら気持ちも軽くなりそうですね。
そうなんです。もうひとつは「先回りして不安を無くしておくこと」。失敗しないように動くのではなく、失敗は当然するものとして事前に調整できることに取り組んでおくんです。
わたしは自称「夢見がちなリアリスト」でして…!夢見がちな一方で、先回りして不安要素をなくすことも並行して進めるようにしています。たとえば、フィンランドで失敗しても大丈夫なよう、1年分の生活費は貯金しておこうと節約したり、帰国してもまた転職できるよう目の前の仕事をちゃんと頑張ったり。
漠然とした不安を抱え続けるのではなく「準備したから大丈夫!」と失敗したときのクッションを積んでおくことで自分自身を安心させられるようにしています。
3. 何歳からでも新人になれる
ーーchikaさんは35歳までにフィンランドで働くという目標を立ててらっしゃいましたが、年齢的なリミットを自分に課していたのでしょうか?
いえ、全然。たまにSiriに「1988年生まれは今年何歳?」と質問することもあるくらい、自分がいま何歳なのか無関心なんです…!(笑)
“35歳まで”と決めたのは、フィンランドに住むための貯金や寿司職人としてのスキルが目標レベルに達するには、2〜3年必要だと思ったからです。
ーー挑戦するなら何歳までだよね…というネガティブな縛りではなく、自分の中で、新たな環境に踏み出すために最低限必要な条件がそろうのがたまたま35歳頃だったんですね。
そうです。それに、31歳で寿司学校に入学したとき、なんとわたしが最年少だったんです。40代や60代の方も同級生にいて、より一層「年齢」による縛りのような感覚がなくなりました。
何歳からでも新人になれるし、学び始められる。新しい仲間ができると実感しました!何かを始めるのに遅すぎることなんてないんだと。
4. メンターは自分でつくる
ーー週末ギャップイヤーを過ごすきっかけとなる言葉をくれた上司や、印象的な人生観を授けてくれた友人など、chikaさんの周りには必要なときに背中を押してくれる人がたくさんいますよね。そういった人間関係を築くためのコツはありますか?
「夢を言葉にしておくこと」と「自分と似ている人を探すこと」の2つですね。もともと、夢を誰かに語るのって苦手だったんです。叶わなかったら恥ずかしいから、ギリギリまで隠していることがほとんどで。
でも「フィンランドで働きたい」と積極的に周りに話したら、応援してくれる人も増えたり、「今度フリーランスとして働いている人を紹介するね」と言ってもらえたりするように。自分がどんな情報を求めているのかを発信することで縁がつながることが増えました。
ーー背中押しや自分にとってよい言葉をくれる人との出会いを待つだけじゃなく、自分から探しに行くべきなんですね!
はい!わたしの場合、ほとんど自分からアプローチしてきました!
自分と似ている人を探すことに関しては、シンプルに自分と似た人からのアドバイスじゃないと、なんだか言葉に距離を感じてしまうことが多かったんです。フィンランドへ移住した先輩方も、フィンランド人のパートナーがいる方や帰国子女など、バックグラウンドはさまざま。わたしは1人で・仕事をしに・フィンランドに行きたい、と思っていたので、異なるタイプの人の話を聞いてしまうと、環境の差に落ち込み「わたしにはできないのかも」とマイナスに捉えてしまうことがあったんです。
自分に似た悩みをもちながらも移住できた人をメンターやロールモデルとすることで、「じゃあ自分もできるかもしれない!」と希望が持てるようになりました。
ーーメンターやロールモデルはどうやって探したのでしょうか?
SNSやブログなどで探していました。たとえ国やジャンルが違ったとしても、自分が悩んでることや挑戦したいことを突破してきた“先人”っているんですよ。そういった方にDMなどを通じて連絡をとってみることを繰り返してきましたね。
5. 死ぬまでにやりたい100のリストは、書けなくなってからが本番
ーー昔のchikaさんのように、やりたいことが見つからない人はたくさんいると思うのですが、おすすめの今すぐとりかかれる「やりたいことの探し方」はありますか?
「死ぬまでにやりたい100のリスト」を書くことですね。わたしはこのリストを書いたことで自分の価値観を知れました!
ーーあ、20個くらいまでは順調に書けて、だんだんものすごくちいさなやりたいことを書き出してしまうあるあるのやつですね…!?
そうですそうです!いや、むしろ書くことが思いつかなくなってからが本番なんですよ。部屋を見渡して「カーペットを貼り替えたい」とか「お風呂でゼリーつくってみたい」とか書き出してからです。
ーーえっ、そうなんですか?こんなくだらないこと書き始めたらもう終わりだ…と、いつもそのあたりで100個まで書き出すのを諦めてしまっていました!
もったいない!すごくしょうもないことや、日常的なことでもどんどん書き出していくことで、自分の人生の輪郭が見えてくるんですよね。ああ、自分の幸せってこんなに身近なことなんだとか、これだけでいいんだなと思える。逆に「今すぐにやれることじゃん!」ってことにも気づけます。
ーーなるほど。いい意味で「わたしの幸せってこんなもんなんだ」と知る機会になったんですね。
別の人と100のリストを見せあったことがあるんです。「フィンランドに行きたい」「美味しいパイを焼けるようになりたい」「オーロラを見たい」など、日常的なわたしのリストに対し、その方のリストには「新聞に載りたい」「経営者になりたい」と野心あふれるものばかりでした。
素敵な内容だったけど、少なくともわたしはそれらを実現しなくても死ぬときに後悔はしないんだって知れたんです。それまでは、みんなのように大きな夢をもたなくちゃとプレッシャーを感じていたんですが、自分はもう目の前のリストにあることだけにフォーカスして、この100個を大事にしながら生きていこうと思うきっかけになりました。
読者へメッセージ
ーー無事、2022年に寿司職人としてフィンランドに移住したchikaさんですが、現在は個人事業主として開業し、フィンランドで作家活動をされていますよね。
実は昨年、勤めていたレストランが突如閉店してしまいまして…!再就職にあたって、改めて「できること(寿司職人)」と「やりたいこと(作家)」に向き合って決断した結果、フィンランドで作家として開業し、就労ビザも取得することができました。
ーーわたしだったら「せっかく学校に通って学んだから」と、寿司職人の仕事に執着してしまいそうです。
そうですよね。ただ、人生の目標を自分自身の「在り方」や「暮らし方」にフォーカスして言語化しておくことで、スキルはそれを叶えるためのひとつの“手段”として捉えられていたのかなと思います。
だからこそ「お寿司の勉強をしたから寿司職人を続けなきゃ!」と、手段と目的が入れ替わることなく意思決定でき、今も心地よくフィンランドで暮らし続けられているのかもしれません。
ーー目的のための手段に固執せず、さまざまな選択肢を自分の中にもっておけることこそ、chikaさんが軽やかに意思決定できる理由なのかもしれませんね。
最後に、SHEsharesの読者さんはWebスキルを学ぼうとされている方ややりたいことを探している方などさまざまですが、みなさんに向けてメッセージをいただきたいです。
キャリアには「山登り型」と「川下り型」の2つの道のりがあるそうです。つい、夢や目標に向かって一直線に突き進む山登り型こそが正しいように感じてしまうものですよね。でも、川の流れに沿ってやりたいことを見つけていく川下り型の存在を知り、とても心がラクになった経験があります。
一見、とっ散らかっているように見えるキャリアだけれど、それぞれを掛け合わせることで自分だけのキャリアを築いていく、今の状態を肯定的に捉えられる道のりだってあるのだと。
寿司学校の入学式でも、先生から「みなさんはそれぞれに違うキャリアをもっているから、それを掛け合わせて自分にしかできないお寿司ができるはずです」という素敵な言葉をもらいました。わたしはこの学校にお寿司の技術だけを学びにきたのではなく、自分にしかできないお寿司や自分にしかないキャリアをつくりに来たのだと実感できたんです。
ぜひみなさんも、できることや選択肢を増やして、掛け合わせて、自分だけのキャリアをつくっていってほしいと思います。
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「未経験だから不安」「この年齢からでも大丈夫かな…?」きっと誰しもさまざまな不安があるはず。そんなときにはぜひ無料体験レッスンに参加してみてくださいね。一人一人の環境や悩みに寄り添った学習アドバイスをもらえるカウンセリングを受けることもできますよ。
chikaさんの心強いアドバイス、挑戦することは何かを捨てることではない。「この期間、自分は目標に向かってスキルを学んでみるんだ!」と期限を決めて一歩踏み出してみると、思いがけないキャリアと出会う道が広がっているかもしれません。ぜひチェックしてみてくださいね!